いのちのバトンを受け継いで

46歳の時に乳がんの告知を受け、左乳房全摘及び腹直筋皮弁同時再建の経験をもつ私は、がんに対する想いが人一倍強いためか、がんへのスティグマの払拭や、がん対策を充実させたい想いで、がんアドボケート活動を行っていました。そんな中、2016年の年頭の誓いは、がん対策を公共政策として充実させるための勉強をすることと、体力をつけることでした。大学院の社会人枠で公共政策を学び、毎日1000m泳ぐことを目標として頑張っていた矢先、呼吸困難に陥り、数日のうちに横になって眠ることもできないようになってしまいました。二人に一人ががんになるといわれている時代、すでにそのノルマは果たしているので、自分が新たながんになるなんて思ってもいませんでした。それに、呼吸困難と「がん」は全く結びつかなかったし・・・。

でも、運の良いことに、私の肺のレントゲンを撮ってくれたかかりつけの医師が、ただことではないことを見抜き、がん診療連携拠点病院の呼吸器内科の受診を促してくれたのです。そうそうに受診し、CTで診てみると、縦隔に巨大な腫瘤ができていて、胸水が心臓や肺を圧迫するほど溜まっていました。そこですぐに血液内科の医師(現在の主治医)にバトンタッチされたのですが、このバトンタッチも絶妙のタイミングでした。主治医は「時間との勝負」という表現で私の状況を説明してくれ、病名は「急性リンパ芽球性リンパ腫」といわれました。その時の真剣な説明と真摯な対応に、心から主治医が信頼でき、すぐに治療に入りました。主治医からは、化学療法で繋いでいく方法と、造血幹細胞移植て完治を目指す方法を提案されました。当然、完治を目指したいと思い、造血幹細胞移植の説明をお願いしました。そしてHLAを調べることとなり、私と2人の妹、3人の息子の6人分のHLAを調べながら、どの移植方法がいいのかと迷いました。HLAの結果が出たとき、フルマッチはいませんでした。しかし、息子の一人が「僕のを使って」と強く申し出てくれたのです。ハプロでお願いしようか・・・。とても迷いました。

その時主治医がすすめてくれたのが臍帯血移植でした。ドナーに負担がかからず、しかもHLAもフルマッチが選択でき、GVHDも軽いことが多いと説明を受けました。私は二つ返事で主治医にお願いし臍帯血移植を受けました。25mlの臍帯血移植はあっという間に終わりました。無菌室で過ごした約3週間、生着だけを願っていました。そして白血球等の増加が認められ、「生着したよ」といわれた時はうれしい気持ちでいっぱいでした。でももっと嬉しかったのはその後でした。臍帯は、お産の時、いわゆる「へその緒」としてお産の記念に取っておいてもらうものくらいにしか思っていなかったのですが、私のもとにたどり着くまでには想像を超える皆さんの努力があることを知ったからです。臍帯血を提供してくれたママと赤ちゃんはもとより、臍帯血の重要性をママに説明して下さる説明ボランティアさんがいて、採取した臍帯血を入念に調べHLAごとに保存してくれる先生方がいて、その情報を的確に発信してくれるシステムがあり、そこから私にぴったりの臍帯血を選んでくれた主治医がいて、それを私のために慎重に運んでくれた運送係の方がいて、私の体調を十分に考慮してくれた上で移植を行ってくれるという壮大な作業を行ってくれる皆さんがいる。私の命のバトンが繋がったのです。

今、臍帯血移植から約2年。主治医にはいろいろお世話になっていますが大きなトラブルもなく強いGVHDに悩まされることもなく、私にぴったりの臍帯血を提供してくれた関係者の皆さんに心より感謝しています。臍帯血事業はとても大変なプロジェクトだと思います。自分が体験し、とても重要な命のバトンを繋ぐ事業だと実感しています。この事業に関わってくださる皆さんに心より感謝申し上げます。